俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

感情要素は必要なのか不要なのか

光市母子殺害事件裁判について・私達は全てを知る神ではない (黒く濁った泥水を啜る蜥蜴)
俺は法律の専門家じゃないから法的にどうなのかを判断するに足らないひとだと自認している。また途方もない面倒くさがりやなので、黒蜥蜴氏の書き綴った詳細が正確なのかすら調べていない。なので語る資格の有無で言えば無しなひとなんだけれども、思うのは昨今のマスコミも大衆も世間全体が感情的でヒステリックに感じると言う事。法的に理論的に判断するのであれば、悲しみや怒りであるとか感情は入るべきではない。だがここ数年の日本の動きは「被害者参加制度」を新設したり裁判員制度を導入したりと、俺が思うに法的な知識が(以前の法廷参加者より)欠如した一般人を参加させる方向に進めようとしている感を受ける。「犯罪被害者の会」のひとたちの気持ちも理解できなくはないが、これは理性的な行動といえるのだろうか?「情」は理解できる、自分が被害者の家族なら加害者を殺してやりたいと思うのかもしれない、でもそれは復讐心であって感情だし法的な物ではもはやないとも思う。またひっそりと進んでいる「裁判員制度」もマイノリティーに属するひとが加害者だった場合とかあんまり考えられていない気がしなくもない。裁判を法的に認められたリンチへ進めようしていると感じなくもない。
昨日のデビルマン話じゃないんだけれども、法が変わればかつての「悪」的感情も法的に参加する事で「正義」的な行動に変わる。善悪とかそういう類のもはそんな程度の価値しかないんだけれども。
「難しい事は解らないのですがメソッド」をかましつつも書いてみた。