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俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

自我の重さ比べ

WEB

よく「こんなことを書くなんて酷い!」とかで炎上に発展したりする例を見たりするんだけれども、なぜたかだか一個人の感想に対して真剣にツッコめるんだろうと常々思ったりする。確かに表現的に断定的に書いたりするひとも見受けられるんだけれども、それも所詮はそのひとの意見に過ぎないし、どこまでいってもその人の正義・正論程度のもの。それによって心を深く傷つけられて心中穏やかでない事も多々あるだろう。書いたひとは不特定多数に向けて書いているから、読んだあなたを攻撃する意思はない(事の方が多いだろう)とはいえ、心を深く傷つけられることもあるだろう。俺にも当然経験があるし理解できなくはない。でもそんなのも所詮そのひとの感想だしそのひとの世界に過ぎない。なんでそこまでコメント欄を覆いつくさんとするぐらいに書き込むのか解らない。その結末には勝利なんてのがあると思っているんだろうか?論破してなんの意味があるんだろうか?*1当たり前だけれども書いたひとの正論に心を砕かれて、相手に自らを正論として罵倒的コメントを書く行為は全く同様の行為であろう可能性は非常に高い訳だし。
もちろんコメントするのが全く不毛だとは思わない。相手のコメントから学べるものも多いだろうし、何より全く違う価値観の人間と話し合える機会を得ることは大切だと思う。でもそれはお互いが学ぼうとするとか、相手の価値観は価値観だと割り切ってないと成立しないんだろうと思う。俺はあまり他所にコメントしないのだけれども相手の価値観を俺の手で変えようとはあんまり思ってないつもり。どちらかというと(罵り合いや罵倒を経ない形の)異なる価値観の衝突で、俺自らでは考えつかないような化学変化を得られればいいなと思っている。また相手に対してもなんらかの得るものがあればなとは思っている。だって「〜について俺はこう思う」って事に正解もゴールもないんだから。その人がそう思うならそれは一つの答えだし正解だもの。これが例えば「年度売上げを対前年比110%にする」という具体的目的があって、それに対して答えを出し合うのであればまだ答えっぽいものを選択していく事も可能だろうけれども。*2
まぁこんなのも全てたかだか人間の自我が持つ単なる拘り(理)に過ぎないんだけどね。事物の価値を決めるのも自我。自我の重さを比べて一喜一憂するも自我。所詮どの自我も百年度には無い自我。

*1:最後にコメントした方が勝ちなんてネタをマジで信じてる人はいないとは思うけれども

*2:それでも会議形式ではブレーンストーミングといって、他者の意見を否定しないというルールもあったりする。選択されてなかった意見からもいい部分を吸い出すという事もよくある事でもある。