俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

答えを先に決める危険性

今回の非実在青少年問題はいろいろな意味で勉強になったと思う。一番大きいのは少し上記しているが、「結論ありき」または「立ち位置ありき」の議論は本当に何も意味をなさないという事を思い知れた事だろう。*1誰しも自分の立場というのを考えるのは当然の事だとは思うが、こうまで結論ありきだと議論をしても形だけで終了してしまう。要するに議論をする事が目的になってしまう。「何を今更…」といわれるだろうけれども、当然の事は認識していても実行するのは難しいという事だろうか。
今回僕は表現の自由の規制という物には反対したいという立場があったのだが、それにできるだけ囚われる事なく可能な限り論理的に考察してみたが、これがなかなかに難しい。Twitterで「中立からズレている」と指摘された事もあるのだが人が主観によってしか物を見ることができない以上「絶対的な中立」というのはありえない。つまるところ努力してみても「中立的に見える反対」でしかない訳だ。*2
ただ今回思ったのは反対であればどちらかといえば反対程度の漠然とした立ち位置は持っていてもいいのだけれども、決して結果であるとか結論だけは先に置くべきではないと言う事だろうか。議論をする過程で考え方が変わる事もあるだろうし、立ち位置も変化する事もあるだろう。それを批判する声もまたある事は予想できるが、しかし議論をするという事は本来そうあるべきなのではないだろうか。答えであるとか考えに絶対はないのだから、それは時代や過程によって変化する方が自然なのではないかと考える。そもそも概念というもの自体に形がないのだから。

*1:反対派だけでなく双方ともの事だが。

*2:そもそも僕自身中立とは思ってもいないのだが。