俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

宗教的なネット

かつて「2ちゃんねる」を指して新興宗教のようだと評した事があるのだが、Twitterへの異常な礼讃であるとか、非実在青少年絡みの狂乱的な反対派の論理展開等を見ているといまや僕にはネット全体がそのように見えてしまう。この方も恐らく同じような印象を持たれていたのではないかと推測する。

インターネットに社会変革の夢を見ている人は、オウム真理教の失敗を笑っていたら、負けだと思うよ。たとえばそんな話。

偶然ではあるが本日放映された「World Business Satellite」のTwitter特集は非常に興味深かった。アメリカでのビジネスへのTwitterの活用方法の現在について取材したものだった。「Twitterはアメリカにおいて実際に社会を変革させたのだ」と取れる方もおられるかもしれない。だけれども僕は何も変革したとは受け取れなかった。放送を見られた方なら記憶されていると思うが、移動屋台のワッフル屋はTwitter以前は電話で家内に連絡し、「今ここで営業しています」とサイトを更新させていたと述べていた。要するに手軽で宣伝できる広告媒体として活用できるという発見があったに過ぎないと思った。僕は社会を変革したのではなくて、ビジネス的に社会に影響を与えた程度の話に思う。実際に客側もTwitterを「店の位置がわかる」として利用していた。
思うにこういった使い方が少なくともアメリカでは普通で、ネットは単にツールとしているのだと考える。そして僕にはこの使い方・考え方の方が普通に感じる。日本がネットをツールと感じることができるのだろうか?と言うと非常に難しいと言わざるを得ないだろう。それがいいか悪いかは問題にしないが、ツールに妄信を持つのは賢明な判断とは言いづらいのも事実だ。