俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

ちいさなまとまり

ニコニコ生放送「朝まで生ワンホビTV8 」でヤマカンが『けいおん!!』をディスる(今日もやられやく)
いわゆる僕がよくわからないディスるとかいうネット語のお話。*1まぁファンが熱くなる気持ちもわからなくはないと一応の理解はしておいた上で、花澤さんとかいう声の出演の人にしてもこの人は監督で起用したことがあるみたいだし、ただの一消費者兼一ファンよりも距離は当然近いのは想像に難くない、我々レベルでいうと単なる職場の知り合いレベルだろう。そんな相手だからこそ通じる冗談を言ったからといって馬鹿にしていると単純にとれるかといえばどうなのかと思う。まぁフィギュアの首を取ったくらいで馬鹿にしたとなるのであれば、真のファンは首すげ替えで表情変えられるフィギュアの表情かえられませんね。まぁ見てる人達がどういう人達かを考えたTPOは必要かもしれませんが、多分彼はその辺りもわかって宣伝のための話題づくりにしているんだと思う。
業界が“先祖返り”している――『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在(Business Media 誠)
そんな冗談を言う人もビジネスではしっかりとした目線で物を見ているという記事。彼がいう所の「10万人のアニメオタク市場だけに向けて発信するだけでは、その中でのパイの奪い合いになってしまうだけ」はしっかりしてると思う、まぁそれが彼のビジネスだから当然といえば当然なんだけれども。

ごく一部の“作画オタク”と言われている人の発言権がネットによって大きくなってしまっていることが影響しています。これは実地で体験しているのですが、そのごく一部の大きな声を現場が真に受けてしまって、あわてふためいた結果がクオリティバブルなのです。(中略)僕はかつて「ネットの力に屈した」とゼロ年代(2000年から2009年までの10年間)を評したことがあるのですが、まさにこれですよ。ネットに踊らされて、「もっとすごいものを作らないといけない」と思ってあわてふためいた結果、現場だけ疲弊してもうからないという。

その中でもこの辺りは非常に興味深かった。僕はかつてゼロ年代を「ネットが暴走した10年」としたんだけど、彼の言う「ネットの力に屈した」に非常に近いものを感じる。90年代も確かにネットはおたくの溜まり場的な要素はあったんだけれども、もう少しアングラでそれぞれが偏在していたせいか暴走までは至った印象が僕にはないんだけど、ゼロ年代に入ってからはそれが連帯するようになって力があるかのように勘違いするようになったように感じるんだよね。そのきっかけの一つは2ちゃんねるだろうし、最近だとTwitterも同様だろう。
当然の事なんだけども実際の世界に比較すればネットの世界なんて狭い物でしかない。そしてそれは実際の世界の一部に過ぎない。そんな狭い世界の声が世界においては然程大きな声でもない事ぐらい論理的思考があれば簡単に理解できるとは思うのだが、ネットの世界からネットしか見ないと一見最大勢力のように勘違いを起こしやすいだろう。この辺りは例の都条例と同様か。

*1:何度聞いても"This"るにしか感じない。マイケルみたいに"This!This!"って物を買うみたいな印象だ。