俺は此処に居る

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デモに生きがいを感じる人=団塊世代の思考

確かに同じ事を思ってましたね。要するに全共闘だとか団塊世代の人達と同じ手段を行ってるに過ぎないんですよね、今の尖閣だとか非実在だとかでデモだとか署名だとか反対運動をやっている人達の行動って。特に非実在については何ヶ月か前にも書きましたが、東京都側の文章はこう書いてあると話をしようものなら「迎合派だ」とヤジられましたし、まんまセクト化じゃないのか?とすら思いました。先述の文には最終的に世間からも遠く切り離されて、最終的には自分らを狭いあさま山荘におしやって終焉を迎えるんじゃないか?と書いた気がしますが、ネットおたくのあさま山荘は「ネットの掲示板」や「Twitter」なんでしょうね、Twitter社が意図しないところまで山荘的。まぁこれは非実在だけでなくて尖閣のなんとかも同じです。
これも同じ事を考えていましたが、今のデモの方が警察の言うとおりだったりして、団塊世代のデモよりも従順でイベント的でしかないなと。過去のデモは警察を含め政府への反対闘争だったので、ジグザグデモ、無届デモも当たり前にしていたのに、いまや警察に守られてデモ。反対、反抗するべき相手に許可を貰って反対とか意味がいまいちわからないです。
あさま山荘だとかダッカ事件よど号を見れば彼らは日本国法上は犯罪者に過ぎないのが事実。でもそれは現行世界が間違いであるとした(勝手な)信念に基づいて行った行為だから、現行政府、現行法律に従う意味はなく、それらは否定し反対する存在でしかない。それに対してそれらに従ってデモをするという安全さ。なんというかお手軽、お気軽、適当。先程の「マスコミ」を揶揄しつつも、一次ソースはマスコミというのと同じように感じます。