俺は此処に居る

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「disる」という思想

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「disる」という言葉がある。

 

僕はこれはいかにもゼロ年代以降のインターネット的言葉だなぁと思っている。これは以前におじゃました「ラブライブ!オフ会」で気がついた事だった。僕は「アイドルマスター」が全然面白くなかったのだ。なぜか?それは主役視点がプロデューサー*1だからどうしても男性視点に固まりがちな事、それとアイドルの女の子に対して父性的な意味で上からにどうしても目線が固定されることだ。

また、ネットの人気を見て新品でXBOXのソフトを購入した所、5分もたたずに面白くなくなった。あわせてアニメの絵柄のふやけた感じが好きじゃなかった。というような事を少しだけ話した所、「何もdisらなくてもいいじゃないすかー」と指摘された。勿論大人なのでそこは流したわけだが、冷静に考えると「disる」とは何なのかと。

 

僕の述べた事はかつてのおたく(趣味者)にはよくあった「批評」であり、「批判」に過ぎず、その範疇を超える物ではないと確信している。だけれどもイマドキのオタク(趣味者)には「disる」になるのである。誓って書くが僕に今も当時もアイマスファンを中傷する気持ちは一切ない。好きな人は好きなのだろうなと、好きだろうから理由はあるだろうけど、僕には合わなかった、合わない理由はこうなんだと述べただけだ。決して作品を全否定するつもりは一切ない。

 

だけども今は「disる」という言葉に帰結してしまうようだ。

 

そもそも「disる」とはなんなのだろう。なんとなくネットで流れてきて、なんとなく読んではいたが、その実態を僕はよく理解していない。

なるほど「軽蔑する・馬鹿にする」という意味で一般的には使われているようだ。ちょっと待て?なおさら僕の「批評」は軽蔑でも馬鹿にしてもいないぞ?僕は個人的にこうだから合わなかったと言っただけなのだ。いよいよ「disる」という言葉がわからない。要するに主体に対して賞賛しているかそうでないか、それだけの判断でしかない。とても二極的な言葉に感じる。

 

冒頭に書いたゼロ年代以降のインターネット的言葉というのは、こういうことだ。僕がおたく趣味者でありながら、アニメや漫画やゲームだけを摂食するとこれは食事で言うところの偏食でしかないと批判するのはこういうことだ。オタク向け作品は大半が子供にもわかりやすいように「善と悪」「敵と味方」が実にわかりやすく分けられている。深いテーマが内包されている事も多いのだが、そこに気づくものも少なく、またそれがわかりづらい作品は爆発的な人気を得るのが難しい。

 

要するに脳に心地よく思考を伴わなくても理解できるゆりかごのような作品を偏食している状態なのだ。こうして「ネット脳」の特色の一つ「二極化思考」は根付いていくのではないかと僕は考えている。そう考えれば「disる」という言葉を、なんとなしではあろうけれども、ネットでの流行に伴い使うというのは、やはりそういう時代なのだろうと。

 

たかだかこんな程度の事はたいしたことではないのだけれども、これが人種問題にぶつかるとかの「在特会」や「ネット右翼」のように、「すばらしい日本人、酷い中韓」という訳のわからない全体主義を簡単に信じてしまう。何人であろうが人の数だけ評価は違うというのに。ゼロ年代以降のオタクにこうした無意識下のレイシストが多いのも「ネット脳化」による物ではないか?と僕は考えている。勿論、素人考えだし根拠はないが、当たらずとも遠からずではないだろうか?

 

あと上記で書いている「アイマス」のアニメは前作のアニメで、画像の今作「シンデレラガールズ」についてではないので悪しからず。今作については楽しんで見てはいるが、直にきちんと「批評」したいと思っている。勿論、甘言だけではないのだけれども、それに見合う作品には至っていると僕個人としては思っている、少なくとも前作よりは。

 

(追記)

bahrelghazali 「オタクにレイシストが多い」とか、そう考える根拠となるデータの提示もなく決めつけてるのは、「すばらしい日本人、酷い中韓」と決めつけてるのと、何が違うんだろう。

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というご指摘があったので書いておこう。これは完全に僕の言葉足らず、説明不足。「オタク趣味者でレイシスト的言動をする人に僕がネット(Twitter)で出会う確率が多い」が正解。当然だけれどもオタク=レイシストというわけではない。しかしながらそういう意見が他の方からも散見されるのを見かけるので、僕だけがそう感じている訳でもないという事なのだろう。根拠には到底至らないと認めるが、そうした差別的発言をオタク趣味者のTwitterから例示するのは正直困らない。

つまりこのまま進めば、たかが個人の感想にすぎない、個人の体感にすぎない物が、積み重なり世間的コンセンサスになる事もありうる。そこをオタク趣味者は真剣に考えなくてはならないし、そうした言動を見かけたら批判し、止めていかなくてはならない。ちなみに僕はそうした事で幾度と無くオタク趣味の友達を失ってきた。どうもそうした指摘をすることは「敵」のように見られるようだ。そうした言動を止められなかったというのは残念だ。

*1:というかやっていることはマネージャーだよね