俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

死を恐れて背負うのオススメ

世界一受けたい授業」に養老孟司氏が出ていた。ここ数日それとはなしに俺が書いてきた事に少し近かったので、紹介と感想を書いてみることにする。
養老氏がいうのは「死」は避けようにも避けられない、当然ながら人間の死亡率は100%であるという事を説明した上で、「死」を避けるのではなくて「死」から目を背けないことが必要としていた。これは俺も思うことで現代日本では普通に生活していれば「死」を意識する事がまずないと感じる。概念としての「死」は当然誰でも知っているが、それは1が0になるという数値的な物だったり、どこかの誰かの「死」であったりの事だ。リアルな「死」は間違いなく自分自身が確実に死ぬという事実を目を背けずに見ることである。失礼な文章だと思うが、たとえ親であろうと誰であろうと他人の「死」は他人の「死」であって、概念的な「死」を知っている事にすぎない。ゲームや漫画、映画やアニメでの「死」となんらかわらないのだ。どれだけ楽しいテレビを見て忘れたつもりになっていようが、どれだけ勉強して知識を得ようが、どれだけ財を蓄えようが、人は等しく死ぬのである。これは真実なのだ。
ここ最近の陰惨な事件に関連して、ゲーム的であるとかヴァーチャルな生命感覚というような言葉を見る事があるが、実のところそういうコメントを出している方々ですらいわゆる倫理的な面や道徳的な面での「命を大事にしよう」からきているように感じる。彼らの内の何人が自らの死について考え、自らの死を受け入れる覚悟を得たのだろうか?その点で見れば、上記の養老氏は相対的な見方で「死」を理解し受け入れているように感じた。*1彼の主張は「死」を意識するものを我々から遠ざけるべきではないという考えだが、これには全くもって同意である。「死ぬのは嫌」「死ぬのは怖い」「死にたくない」はリアルな個人的感情だと思う。そういう気持ちをリアルにするためにも「死」を我々の目の前から消してはいけないのだ。「死」とは何か?を全員が考え追求する必要まではないと思うが、「死」を認識し目を背けず避けられないものとして背中に背負う事は必要だと考える。

*1:俺的には、今この瞬間に人は死んでも生きてもいないし、死んでるし生きてもいる、と思っている。