俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

「はやぶさ、きみはどこに落ちたい?」

私は中継見てないし、これまでろくすっぽはやぶさの事を知らなかった。でも、この機会にそれを知り、それに携わった人々や計画の意義について考えるのはとても良いことだと思ってる。でもそんならTVの凋落とか言うのは粋じゃないよ。そんなにネットVSテレビ、という安い二項対立は好きじゃない。

他にもお気に入りし忘れたのだけれども、「国家プロジェクトなのにテレビではドラマだとかバラエティを放映しているってどういうことなんだ?ネットでは有志が中継しているというのに」という書き込みもあった。僕が前々から思っている例の二極化思考なのだろうか。僕は当然テレビ業界関係者ではないので判らないが、放映プログラムがそう簡単・単純に決定されている物でもないんじゃないだろうかという妄想するのだが…。
落ちる「はやぶさ」を人的に捉え、滅びの美学的観点から感動する事は理解できる。何も悪いことでもないし、非常に日本人的に好まれる状況だし、僕にも理解できる感情だ。でも僕は彼を人と捉えるのであるならば、落ちる時、滅びる時にしか注目してもらえず、そんな死の間際をもマスコミ叩きのいい材料に使われる「はやぶさ」さんが可哀想でならない。
あとTwitterニコニコ動画では某アニメネタ「オカエリナサイ」ばかりで僕的には食傷気味だった。「はやぶさ、きみはどこに落ちたい?」*1

*1:アニメ・漫画おたくなら、あの後未来にせよ生存する某アニメと大気圏で燃え尽き、機器的死しか残されていない「はやぶさ」は全然ロマン的な意味合いが違うとなぜ指摘できないのだろうとか。まぁ僕もおたくな者で少し思った次第。