超ひも理論
Twitterのトレンドに「紐」というのがあった。
なんだ?「まだら」なのか?「紐育」なのか?と思ったらこれだ。
(ファンアートの若干のエロ注意)
偶然にも僕はこの春の新作なので見ていたわけだけども、この女の子の紐付きの服に何も思わなかった。むしろ「ああこの子が主人公に横恋慕するありがちな男に都合のいい設定だな」とか「主人公の未熟な少年が偶然出会った強い女性に一目惚れして、強くなろうと上昇志向で頑張る王道のボーイミーツガールだな」とか程度にしか思わなかった。ファンタジーモノというよりはファンタジーを下敷きにしたコンピューターゲームの世界で展開する感じ。まぁ面白そうだし見続けるかと思ったら、Twitterを中心にネットのオタク層はこの紐の話題ばかりだ。
こうした話題が出る度に僕はガッカリする。いやそういう服のデザインだとかちょっとのエロスというのも必要な要素ではある、それはわかる。だけれども肝心のストーリーテリングであるとか演出等に批評が及ぶのを見かけるのが本当に少ない。いや本当はそうした批評もあるのだけども、こうした事があるとその声が大きすぎて全く見えなくなってしまう。アニメをポルノとして消費しているのか?と思ってしまうくらいだ。
これは先日あった「艦隊」アニメの最終回でもあった。眼鏡キャラが眼鏡を取ったとかで大騒ぎしているのをリアルタイムでみたんだけれども、そんな事を知らないしどうでもいい僕は「シナリオの構成が杜撰なまま終わった」という感想しかなかった。でもTwitterはシナリオとか演出とかどうでもよく、ひたすら「眼鏡眼鏡」とまるでやっさんのようだった。恐らくストーリーを見ていた人もいたのだろうけども、大声のユーザーが連呼するもので、結局そうした批評はあえて探さないと見ることはできない状態だった。僕のタイムラインが悪いのか、それともそういうファンしかいないのかはわからないけども、こうしてまとめられる所を見ると、他の人の目にも目立ったのではないだろうと推測される。
なんだろうと思っていたが、もはやそういう時代なのだろうか?かつては作品を楽しみ、愛し、批評し、そこから没入してマニアやおたくになって、作品の中での立ち位置やキャラ(性格)から推しキャラが決まったものだけれども、今は最初にキャラ(見た目)から入るのだろうか?*1
ドラマや映画と違ってアニメの場合、キャラ(見た目)は所詮絵だ。だから不細工なんてのはまず意図的に描かない限りいない。だからこそドラマの中での立ち位置やキャラ(性格)で推しの子が決まるものだと思っていたのだけれども、キャラ(見た目)を優先するのだろうか?全員見た目は美女なのに。しかも好きかどうかですらなくエロいというのが大声ユーザーの話題になりがちだ。おそらく最初の紐の件にしても、エロいとは思うのだろうけども、この子にはそうした推しの気持ちはないのだろう。なにせ原作体験者ならまだしもアニメはまだ初回なのだから。
そういやプリキュアだとか女児向けのアニメですらエロい等というのが書かれているのを見たことがある。そこまでエロい絵を求めるのならアニメなんかあえて見なくてもいいんじゃないかとすら思う。最初からエロい絵を目的にしたエロアニメやエロゲームをすればいいんじゃないだろうか?
あまりに性を消費的に捉えているし即物的だ。下半身に脳が付いているようだ。こうした下半身直結型の脳を持つのは自由だけども、ネット(Twitter)でオープンにその感覚で性癖(もはや性癖だろう)を披露するのはいかがなものか。こうした感覚者が大声ユーザーだから先日書いたような「鍵をかけないオープンなネット(Twitter)で嫌がる人の気持を想像すること無くエロ絵を流す」行為が臆面なくできるのかもしれない。
間違っているとは言わないし思わない。人それぞれの自由な鑑賞方法があっていい。だけれどもオタク趣味はネットでマジョリティだとどうにも勘違いしているようには感じる。でなければ、オープンな所で「このアニメはエロい」「このキャラはエロい」等と論じたりエロい絵を垂れ流したりはできない。
それは近くの駅前でそうした主張を大声で熱弁しているのと同じ行為なのだから。
*1:勿論、上記のように大声でない人でストーリーを批評する人もいる。だけれどもネットの大声にかき消され、事実こうしてネットニュースとしてまとめられている。