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俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

知的遊戯


結局何の実行力もなく結論もなくああだこうだいうだけで時間を浪費するだけと僕が知的遊戯番組ととらえている朝生で退場騒ぎ?があったみたい。辞めたTwitterと同じで何の実行力もないんだから(僕のこういうのも含めて)こういうのはハッキリと知的遊戯でしかないと認識すればいいと思うんだけど、そういう現実って意外に前提だと思うんだけど認識されてない。だからどうみても偽装頭部な人から「じゃあ何かやってごらんよ」と言われる。ここで茶髪の人が「やりませんよ」でなく「じゃあ今年中に僕のできる範囲で具体的にこうします」と目標を立てて何かするならまだ説得力もあるんだろうな、であれば「帰れ」とは言われなかった気がする。
結局ね、ネットでああだこうだいうのは楽しいし痛快だけど、じゃあそれで何が変わる?って言われたら多分何も変わらない。会社だとかだと「今年、どうするか」と問われるし、年度の閉めには「自己目標に対して自己評価」を迫られ、それによって上司からの査定がある。理想論だけでなくて現実的にどうしたか?結果はどうだったか?が問われるのが現実社会でその分責任というものが課せられる。だから言う方もうかつな理想論は語れないし、語るなら相応の覚悟もいる。ところがネットはそんな責任も覚悟もなく好き放題言えてしまう。だからまぁ僕は(僕のも含めて)こんなの感想の掃き溜めでしかないと書いたし、そんなので対立とかバカバカしいなと書いてきたんだよね。
もちろんネット発祥で何かを変えることは絶対できないとは言わない。でも実際それが言えるのは変えた人だけ。例えばネットを活用したビジネスで成功した人とか。でもそれはネットの成果ではなくてネットという単なるツールをその成し遂げた人が使っただけの話でネットが優れてる訳ではないんだよな。
宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る (平凡でもフルーツでもなく、、、)
ネットでこんなことができますよ、このガジェットでこんなことができますよ、言うのは簡単、やる事が重要。あくまで僕の妄想だけど監督にiPadで僕はこういう仕事をしています、これでなければ成しえなかったんですと的確に成果と効用を伝えれば認めたんじゃないかと思うよ、多分「僕は紙と鉛筆で十分だけどね」と皮肉は言うだろうけれども。僕もパソコンでこういう事を成しえたと言える様になりたいし、そう心がけたいと思ったね。

(追記)
後半も見てみた。偽装頭部の人は的確すぎる。「貴方が神様じゃないからね」は少し相手に煽り的でよくはないけれども間違ってはない。それに対して茶髪の人が「じゃあ貴方が神様なんだ、決められるんだ」とキレてるのはなんとも見てられない。非常に二極的な思考そのものに感じた。偽装頭部の人は「世の中思い通りにはならない」「色んな考えがある」という意味で言ってるんじゃないかなと僕は妄想したんだけどね。