あいかわらず「非モテ」はわからん
12・24クリスマス爆砕大衆行動 (革命的非モテ同盟)
ネタとしては面白いけれど、何がしたいのかわからん。そもそも「非モテ」ってのは前にも一度読んだけれど、なにがしたいわけなのかわからんのだ。「モテ」という概念が至上であるとする社会を革命したいのだろうけれど、「モテ」なぞ全く気にしないことこそ「非モテ」ではないのか?「輪廻転生」概念からの脱却を悟るかのごとく、「モテ」という概念の輪から無意識となり脱却することが「非モテ」だと思っていた。
ネタ的には赤軍派の「世界革命戦争宣言」なのだから、恋愛ブルジョアジーから「富」であるところの「恋愛という概念」をプロレタリアート階層へ解放する流れになるハズなんだろうけど、それだと「非モテ」ではないと思う。また「恋愛という概念」は富のように分割できる物ではないしな。上でも書いたように「非モテ」であるのなら「恋愛」ブルジョアジー階層からの解放という共産思想的なアジテーションをするよりも、仏教的な「恋愛概念からの」解脱を踏まえた上での布教活動だと思う。そう考えればネタ的には刺激的かつ面白いんだろうけれども、「赤軍的アジテーション」よりも「大乗仏教的*1なアプローチ」の方が向いているように感じますね。と、考えればはてなリングの画像もチェ氏よりも親鸞上人を使用したほうがいいのかもしれないな。いずれにせよ60年代との違いに時代を感じざるを得ないよね。
*1:浄土真宗的