俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

イベント中で知人と話したこと(抜粋)

最近ネットを騒がせている「非実在青少年」の話ばかりしていた。流石にこればっかりだった気がするので先方も飽きたんじゃないだろうか(笑)ひとまずその時の記憶を呼び覚ましながら、僕の個人的意見を書いておこう。以下はあくまで一個人の意見であり感想。
僕自身かつては色々な表現物をくだらないなりに製作・創作をしていた立場なので、基本的に法の力で作家性であるとか個性の集積物である作品の表現を縛る事は反対ではある。ただどうにもネット界隈の反対派に素直に賛同できない。確かに行政側の規制案は曖昧な法案だし表現の自由を侵害する可能性も多分に含むどうしようもないものだとは思う。だけれどもそれに正等に反論するべき事を我々はやってきたのだろうかという事。記憶が曖昧で申し訳ないんだけれども数年前にそれこそ東京都に規制されるまでの秋葉原の街角はどうだったか。ピンクと肌色に店頭が染められ乳首に修正もないゲームや同人誌のポスターが貼ってあった記憶が少なからず僕にはある。最近やっと成年イベントの入場時に身分証の提示を求められるようになったが、それ以前はザル状態だったではないだろうか。実際入場数的に不可能な夏冬のコミケは今でも年齢認証はない。*1今でもプロアマ問わず大半のエロサイトの年齢認証は「あなたは18歳以上ですか?」。いいえだとyahooやgoogleに飛ばされるだけのゾーニング。こんな事で本当に行政に言い訳ができるのだろうか?今になって「こんな条例案なんかよりゾーニングの問題だ」と言っても、そのゾーニングを自分達で曖昧にやってきたんじゃないんだろうか。「ゾーニングは行政がすること」という人もいるかもしれない。でもその時はその時でまた同じような反対運動が起こらないとも言い切れない「行政が表現の範囲を縛ろうとしている」と。
僕が言いたいのは全てが遅すぎたという事だ。ネットを常日頃見ていても思う事だけれども好きにするのは好きなだけやればいいとは思う。だけれどもその反動も覚悟すべき事なんじゃないかと。あまりに目立ちすぎると行政はやはり対応せざるを得なくなる。そうまで膨張したのは他でもない我々側じゃないんだろうか。ゾーニングにしても行政が何もしないから大丈夫とするのではなくて、一歩引いて自分達を見つめなおし自制対策する事もできたのではなかっただろうか。
かつてネットが黎明期だった頃は法的に考察した上で後ろめたさがある人達はアンダーグラウンドに潜った。今話題のロリコンもそうだったし、僕もエミュレータのロムサイトやmp3サイトを探すのにやっきだった。友人は当時MADビデオの製作をしていたが何度かデリられた話を聞いた。アングラサイトがデリと垢BANを何度も喰らううちにいろんな逃げ道ができた。FTP交換や愛銅鑼やあゆ板、そしてP2Pに移行してWinMX…。決してオーバーグラウンドで語ることができず、日本国内法的に間違った事をしているという自覚があった。法は個人の自由を奪う暴力であるという事も実感しつつでもやりたいから皆覚悟して動いていた。そのお陰である意味暴走を自制していたのだと思う。思うに僕も含めたあの世代の人達には「宮崎勤」という重荷が常に付きまとっているんだと思う。あの時のおたくバッシングはまだ記憶している。おたくは被差別的な存在だった。逆にその時に一般人と自称する人達の本音的な物も見えたし、乖離した価値観も感じた。*2これらが我々はアンダーグラウンドであるという自認にも繋がったんだろうと思う。
昨日、同行させてもらったid:haikyo氏はターニングポイントは2ちゃんねるだろうという事を述べられていた。なるほどそうかもしれない。確かに2ちゃんねるは暴走を自制する人達は少なかった。実際のまネコで脅迫文を義憤で送ったりしていたのだから。またあの騒動で暴走を自制する人を「工作員」として叩き出している板も見た。
忘れてはならないのは我々は行政の手落ちでボーダーラインを歩けているに過ぎないという事。そのボーダーラインの曖昧さが好きなのであれば、行政側に隙を見せてはならないという事。あと曖昧とはいえ小手先の屁理屈が一般的に通用する訳がないという事。それらは行政に注目された場合、高確率で犯罪と認定される可能性がある事。だからこそボーダーを愛するのであれば隙を見せぬよう、我々側がゾーニングをしていく必要があったんだと思う。ただし残念ながらもはや手遅れ感はある。
僕は反対運動に参加はしないが、とはいえ批判も妨害もする気はない。むしろ頑張って欲しいとも思う。ただ僕は何もしてこなかったからこそ言う権利はもはやないと思うので行政に働きかけられない。そもそも万一規制されたとしても僕は僕の表現を止められやしないだろうし、規制されたから表現を変えるであるとかそんなつもりも毛頭ない。他の皆さんにも万一規制されても自らの表現を止める事がない覚悟を期待したい。
なお、僕は表現の自由への規制については反対を表明しますが、児童ポルノの是非についてはまた別の問題だと思うのでこちらについては哲学的な問題も含めてまだ考察が必要だと思う。

*1:2年前の体験。その後できたいたら申し訳ないが。

*2:あくまで感覚で根拠はない