俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

表現とは?

何ヶ月前にも書いた気がしますが、基本的によく理解できないのが「表現の自由を守れ」という言葉です。勿論、表現の自由を守るというのは大切ですし、私もそれについては反対をする気はありません。しかしながら数ヶ月前に(素人ながらですが)調べた「チャタレー事件」「松文館事件」での「表現の自由は絶対ではない」的判例があります。法的素人の私としてはやはり論理的にその過去の判断に拠るべきではないか?としか答えられないなというのが正直な所です。なぜなら私は法律のプロではありませんから。
ただ「表現の自由」を最も大切に捉えるのであれば、今回のような所謂*1販売規制であれば何ら問題はないのではないかと思うのです。あくまで販売分別でしかないですし、万が一「販売規制」と捉えても所詮販売の規制です。表現者であり「表現する事」が第一であるならば、条例が施行されたとて全く問題なく表現し発表すればいいのではないでしょうか?それこそ「表現の自由」だと私は思うのですが。
確かに「もしかすると今回の規制から本当の表現規制に進むかもしれない」という妄想*2を持たれる方もおられると思います。しかし「本当に表現したい事」がロリータであれ同性愛であれ何かであるならば、販売ができなくとも、発表が地下であろうとも、或いは法に従い逮捕されようとも表現するものじゃないでしょうか。
「表現」が法に規制されるのは確かにおかしい事とは思います。でも万が一規制された場合、そこで表現を辞めてしまうのでしょうか。そこまでして守りたい「表現」とはそんな程度なのでしょうか。法で規制されても、誰かに白い目で見られても、それでも自己内の湧き上がる魂の叫びを体外に叩きつける行為こそが私は表現なのではないかと思っています。勿論その表現に垣根はなく、(私には理解できなくとも)ロリータであれ、同性愛であれ、表現行為自体は素敵だと思いますしそれでいいと思います。
こうした理由から「表現の自由規制への反対」とした場合、私にはいまいち共感できないという面があります。逆に単純に規制されようとしている表現者が「職がなくなる」「販路が縮小する」というのなら、販売規制について異論を唱えるのは大変共感できるでしょう。職がなくなる恐れがあれば誰でも行動すると思います。実際、海外製品の輸入についてセーフガードを嘆願する一業界のニュース等をみた記憶があるのではないでしょうか。あれらは極めて自然な行為であって、生活に根ざしたリアリティのある行動だと思いますし、やはり自分に重ね合わせて見ると生活基盤への不安は共感できますし理解できます。また同様に彼らのファンが「作品を読めなくなる」という不安から行動しているのであれば、同じく共感できます。私も好きな作家の新作が読めない、買えないとなると困りますし。そういった点からこうした人々の動きには不思議かつ興味深い点が大変見て取れるなと思っております。

*1:私的には売り場の分別規制だと思いますが

*2:失礼ながら何の根拠もない以上、妄想と表現させていただきます。