俺は此処に居る

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表現の自由とは絶対なのか?

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いまやネットにおいては表現の自由を声高に叫ぶのが流行りになっている。

 

数年前、東京都知事がまだ石原慎太郎だった頃、都条例による漫画やアニメ、ゲーム等への児童ポルノ規制の話題で持ちきりだった。曰く「表現の自由を守れ」と。それ以降も児童ポルノ、とりわけ漫画やアニメ、ゲームにおける表現、とはいえその話題の大半は18禁についてだけなのだが、が取り沙汰されてきた。しかし先日起きたフランスの風刺雑誌へのイスラム過激派の報復行動によって訳がわからなくなっている人も出てくるようになった。

 

表現の自由は守られるべき権利であり、イスラムへの風刺も守られるべきだ」という者もいるようだ。確かにフランスでの事件後のデモ報道においては、そうした方向性で報道しているようだ。確かに表現の自由は大切な事でありそれは守られるべきだろう。だがここで貼り出したくないような風刺漫画を僕は見たし、ああした預言者や聖典を下品かつ侮辱的に描いた物はもはや風刺、批判とはいえず中傷ではないだろうか?

例えば、日本のマイノリティに対するヘイトスピーチヘイトクライムを思い出してみて欲しい。多様な文化、人々に対応できない人達がマジョリティの数の力でマイノリティを言葉の暴力で攻撃する。よくよく考えれば件の風刺雑誌がやった事となんら変わらないのだ。

 

勿論、表現に対する報復に暴力を使用し、殺傷するのは許される行為ではない。しかしそれと表現の自由だから何を描いてもよいというのとは別問題で、それがまた許される物でもないのではないだろうか?

ニコニコ動画を運営するドワンゴ及びニワンゴ川上量生表現の自由を盾に在特会のニコニコでの放送や動画の設置を許可している。これとフランスの風刺雑誌とどう違うのだろうか?


「ニコ生のヘイトコメントは酷すぎる」 反人種差別団体が「ドワンゴ」に対策要請へ

 

 

表現の自由は絶対の権利ではない。

 

ここで話を表現規制に戻そう。確かに表現の自由は大切な物だ。だけれどもその表現によって気分、心を害する人達がいるであろう事を、完全ではないにせよ、考えてもよいのではないだろうか?そうした配慮は表現を確かに自制する事に他ならないが、何も表現の自由が失われる訳でもないのではないだろうか?先ほどのフランスの風刺雑誌であれば、例えば預言者が現状を嘆くという風刺でも事は足りたはずだ。

ネットの表現についても同じだろう。表現の自由だからとTwitterで鍵もかけずに18禁イラストを流している人は、そうした物を好まない人達の事を少しも考えていないのだろう。しかしこれは社会的には環境型セクハラに該当するのだ。何も18禁表現だけではない、先ほどのマイノリティにはLGBTも入る。そうした人達の事を一切考えず「ホモォ」だとかで笑い者にするのは、多様性を受け入れないマジョリティの論理でしかない。これらは性の暴力だと言っていいと僕は思っている。

 

今回のフランスの件は、表現の自由とは何か?を今一度冷静に考える機会になったと思う。暴力を伴う表現は自由ではない、それは野放図でしかないのだ。

 

あえてもう一度誤解なきように書いておく。だからといって暴力による報復が許されていい訳がない。それとこれとは別問題で考えるべき事なのだ。