俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

雑誌の裏表紙から読み取る歴史

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表紙と付録で今回購入した「電撃g's magazine」。表紙は当然ラブライブ!なんですが、この号は表紙と付録のおかげからか一時ネット書店で注文が不可になりました。いやはや大変な人気。そんな「電撃g's magazine」の裏表紙見ると「第24巻第4号通巻372号」とあります。

なんと通巻372号!雑誌収集マニアならピンとくると思いますが、この表示、24巻は月刊誌だと24年、第4号は月刊誌だと通年だと4月号、通巻はのべ発行号数なんですね。ということから考えるとこの号は24年目の4月号、のべで372冊でているということになります。

 

しかし「電撃g's magazine」ってラブライブ!で有名になる前にもあったにせよ、24年というと1992年創刊!えっ?そんなに古いの?って思ったら、途中で時代性に合わせて改名したそうで、改名前は「電撃PCエンジン」になるそうです。

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さすがにPCエンジン雑誌までは所有していませんので、ネットで検索した画像なんですが、確かに創刊号は1992年の2月号とあります。思えば表紙にある「女神天国」は今の源流ともいえる読者参加型の企画だなと。

 

この読者参加型企画は雑誌が廃れた今だと珍しいのかもしれないのですが、かつては様々な雑誌が企画していました。テレビが一方向であればネットが双方向通信といわれたように、雑誌が一方向の時代になんとかして双方向的なメディアを模索した結果なのではないかなと。どうもこれの源流を辿ると「beep」(1985年創刊)の「ヤタタウォーズ」辿り着くようです。1985年というと当然インターネットはなく、マニア中のマニアが一部でパソコン通信をなんとかやっていた時代。キャプテンシステムもまだあった時代です。そんな時代に双方向的な事を考えたら、メーリングによる読者参加型企画にならざるを得なかったのではないかなぁと。

 

さてこの電撃PCエンジン。さらに辿ると角川お家騒動で分裂したスタッフが立ち上げた雑誌で元は角川書店の「マル勝PCエンジン」。女神天国という企画も元は「マル勝」時代に女神スタジアムという企画だったそう。*1「マル勝PCエンジン」は1988年創刊。さらにその分家前は1986年創刊の「マル勝ファミコン」にまで遡り、「マル勝」は「コンプティーク」の一コーナーの独立からきているのだそう。*2

 そんなコンプティークで最初の読者参加型企画といえるのは、毎月推理クイズを出していた「聖エルザクルセイダーズ」(1987年)なのではないかなと。*3そう考えると今電撃で連載中の「ラブライブ!スクールアイドルクエスト」は毎回謎に答えるという推理参加型。*4

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「聖エルザ」では最初は二巻表紙の乙島恵利(オトシマエ)推しだったんだけど、読んでいくうちに三巻表紙の白雪和子(姫)か一巻表紙の織倉美保(ミホ)推しになっていった。三巻表紙にちょっと出てる滝沢礼子もいいよね。また表紙絵は後の伊東岳彦ことBLACK POINT氏で、氏の絵柄にはかなり影響を受けました。

なるほどラブライブ!の源流はコンプティークの同社参加型企画になり、当時「聖エルザ」にハマった僕にピッタリくるのも合点がいくというものなのかもしれないですね。

*1:僕はエンジンマニアではなかったのでそんなに詳しくないのです。

*2:ログインの一コーナーが独立したファミコン通信と同じ流れですね。

*3:ロードス島戦記(1986年)も先に企画としてあるんですが、あれ読者参加型ではなかったような記憶。

*4:ちなみにそのコンプティーク(1983年創刊)は「コンピュータ+ブティック」というコンピュータをおしゃれにという思考から名付けられた雑誌で、元は「ザ・テレビジョン」(1982年創刊)の別冊であった。

2016年明けました。

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というような記事を今頃書いている僕です。

今回今更なにを書くのか?というと去年も同じような書き出しで抱負を上げていたのですが、それをどれだけできていたのか?という私的反省エントリになります。

①据置機でゲームする。

これはなんとか達成できたように思う。「アサシンクリード4」「アサシンクリード ローグ」とクリアし、他のゲームもそれなりに楽しめた。今年も積みゲームを少しづつ減らしていきたいと思います。

②現実的な付き合いを大切にする。

新たな出会いはすくなかったものの、事あるごとに旅行に行った1年だったと言える。タイに香港、東京にも九州にも行った上に、地元を架空旅行までしてみた。ラブライブ関係のイベントにも多数参加したし、今度あるオフ会にもまた行く予定。今年は暇があれば旅行に行こうと思う。

③社会運動に参加する。

これはあまりできなかった。ブログに上げた反戦デモくらいで、他に何もできなかった。ただこれは思うことがあって、あまり参加できなくなった所もある。考え方は何も変わらないのだけれども、それにまつわる人々のいがみ合いに辟易したのが大きい。

④ブログをできるだけ書く。

できるだけ書いたけども、他の皆さんのようには豆に書くことができなかった。旅行を前々年よりしていたので、書くことはたくさんあっただろうに、かけていない。これは今年も継続して頑張りたい。というような事を2月に書いている時点で頑張っていない。なんとかしたい。

⑤絵をきちんと描いていきたい。

全然書いていません。笑い事ではないくらい書いていません。ただ3月15日の聖誕祭に向けて簡単なお祝い絵を書いていますので、これを機会に今年こそ書いていきたい。去年悩んでいたアカウントは1つにしていくつもり。

⑥ハンドルネームを考える。

黒太のままなんですが、苗字を考えていきたい。好きな名前からパクるとかいろいろ考えたりしたのだけれども、未だになにも決まっていない。

⑦英語のために英語で文章を書く。

文章ではなくてリスニング強化に北米版アニメで勉強しようと画策中。

⑧体重管理したい。

増えてこそないものの、減りはしない。 てっちゃぎ (id:tettyagi) 氏が凄いマッチョになっていたのもあって、自重トレをしていたんですが、腰を痛めて中断中。氏のいうようにジムに行ったほうがモチベーションは続くのだなと思いましたので、今年こそはジム通いを始めようと考えてます。

 

とまぁいろいろ、できたこともあればできないことも沢山という結果。この中でも今年はアニメで英語と絵を書いていくのとジム通いを一番やりそうにない三本の指針として頑張りたいと思います。

 

第66回紅白歌合戦!

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ひとまず大掃除の合間に緊急でこれをかいています。

本日の紅白歌合戦ラブライブ!ことμ'sが出演します。僕が追っかけしている三森すずこさんも当然メンバーなので出演されます。*1

 

「アニメソングなら過去にも紅白に出たし、声優なら水樹奈々とか出てるじゃん」という人もいるだろうけども、僕はファンというのを差し引いてもこれは本当に凄い事だと思うんです。

元々はコミケの企業ブースで声優が手売りしても434枚しか売れなかった所から、本当に這い上がってきたのが彼女らだからです。このあたりは本当に売れないアイドルそのもので、3rdあたりのライブMCで「家族が30枚買って、知り合いに配った」とのこと、そこからいまや紅白。これは本当に快挙というべきでしょう。

また企画発の声優ユニットが紅白に出るなんていうのは前代未聞なのです。最近だとアイドルマスターが紅白にでるような、昔ならハミングバードや男性ならNG5がでるようなものなんです。

ラブライブ!に少しでも興味を持たれた方はぜひこの機会にご覧になってみてはいかがでしょうか?テレビの一組を一曲見るだけの時間ならそんなにも時間はかかりませんから。

今回はどうもいつものライブのように、後方にアニメダンス映像を流すようなので、アニメとキャストのシンクロぶりをみることもできると思います。僕はアニメから入ったんですけど、本格的に没頭したのはこのシンクロしすぎたライブをみてからなので、本当に初めてだと衝撃があろうかと思います。

僕が今まで当ブログで書いてきた「現実と虚構の境目を曖昧にする事が新しく、ヒットした」というのがお分かりいただけるかと思います。この機会にぜひ。そして一緒に応援しましょう!

 

頑張れ、μ's、頑張れ三森すずこ

*1:残念ながら絵里役の南條愛乃さんは膝の状態で出場辞退ですが

さよならだけどさよならじゃない

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いよいよ最後である。

 

来年の3月31日と4月1日についに劇場版と同様、ドーム*1でのライブがファイナルとなる。思えば劇場版ラスト「僕たちはひとつの光」での背景もいま思い出すとドームっぽくもあるような気がする。

これをもってラブライブ!いわゆるμ'sの活動は終了し、μ'sは解散するとの報道もある。そういうこともあってネットでは解散阻止という運動まで出始めているようだ。

【悲報】ラブライバー、解散報道で「μ’s解散阻止隊」が結成され、さらにめちゃくちゃにwww【ツイッター】 | やらおん!

しかしみんな落ち着いてほしい。今週中は見ることができる先日のファイナル告知番組でメンバーは一言も「解散」とは言っていないのだ。

「ファイナルライブ」「ファイナルシングル」「最後のワンマンライブ」と最後づくし、終わりだと思うのも仕方がないとは思うが、それは早計すぎやしないだろうか?もう一度落ち着いて本編中のみんなの言葉を思い出してほしい。

 

シーズン2の11話「私たちが決めたこと」で矢澤にこ西木野真姫はなんと答えたか?

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「だからアイドルは続けるわよ!絶対約束する!何があっても続けるわよ!」

 

そう9人での「ワンマンライブ」はファイナル、9人での「シングル」はファイナル、それだけの事なのだ。

 

ただ、劇場版でも絵里は「μ’sを続けることはありません」とメールで送っていたように、3年生が引退したらμ'sは終わりなのだ。その3年間の一瞬の輝きをテーマに描いてきた物語なのだから。*2だから現実と虚構の境目をあやふやにする事でヒットしたラブライブ!におけるμ'sは終わる。解散とは明言しないもののそういう意味では「事実上の解散」ではあるのだろうと思う。だけれども、μ'sとしてでなく各メンバーとしての活動はこれからもないとは一言も言われていない。これは特番のキャストからも、アニメのエピソードからも明らかだろう。これは「すべて終わり」ではないのだ。

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「やっぱりこの9人なんだよ。この9人がμ'sなんだよ。」

「誰かが抜けて誰かが入って、それが普通なのはわかっています。」

「でも私たちはそうじゃない。」

「μ'sはこの9人。」「誰かが欠けるなんて考えられない。」

「一人でも欠けたらμ'sじゃないの。」

 

逆に考えれば、各ユニットの活動は可能だし、個々のメンバーでの活動、今までになかった変則ユニット等、新たな方向性も考える事はできる。アニメの時代的な問題もあろうけども、サンシャインとの変則ユニットも考えられるし、なによりサンシャインがアニメ化した時にゲストキャラとして登場等もありえるかもしれない。*3またキャスト面でも合同ライブやサンシャインのライブに例えばBIBIだけ参加のような事は十分ありえる事だろう。

 

明言はされていないが、「μ'sの事実上の解散」というのは「全ての終わり」ではないのではないだろうか。上記のように本編から読み取ればむしろその方が自然に思える。ただし何度も書くが今後の各メンバーの活動は否定されていない。そういう意味ではメンバーもキャストも消えてなくなりはしないのだ。

http://nanjolno.jugem.jp/?day=20151206

絵里役の南條愛乃もブログにこう書いている。「μ’sが消えてなくなるわけでも、思い出がなくなるわけでもありません。」と。これはある意味、解散であって解散ではないととらえられるいい返事なのではないだろうか?

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悲観することなく、希望をもって今後の動向をみていこうではありませんか。

「思い出だけど思い出じゃない」

 

 

 

*1:ドュームです!

*2:ただし番組的には1年間ではある。これは本編でも劇場版でも何度も語られてきた。羽と輝きはキーワードなのだから。

*3:例えば大学生になった絵里がダンスコーチとして出てくるとか。

表現の野放図

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先日のアニサマの人種差別問題は記憶に新しいが、また先日このような騒動がおきたそうだ。どうも最近ネットのオタク関連で人種差別を元とした話が多いように感じる。

 

この陳列された漫画は「日之丸街宣女子」と「テコンダー朴」の2つ。コメントを見ると「テコンダーは反日漫画だ」などいろいろでているが、こう発言する人たちは対立構造でしか思考できていない。そもそも反日だから左翼は怒るべきではないとか、親日だから右翼向きだというような次元の話ではないのだ。反日だから親日だから左翼だから右翼だからという問題ではなくて、こうした国家・民族・人種の差異を侮辱的に使うことでエンターテイメントとし売りにするのが実に醜悪だという事だ。*1

 

丁度、昨日パリで市民を狙ったテロがあった。その前に同じパリでシャルリーエブドの事件があった。シャルリーエブドの事件は何が引き金だったか思い浮かべてほしい。

表現の自由」と言葉にするのは実にたやすい事だ。だけれどもこれらの表現を「表現の自由」と簡単に述べていいものだろうか?これらの表現は表現される側の心情を全く考えていないと僕は考える。確かに「表現の自由」は大切なものだろう。だけれどもそれは野放図であってはならない。表現対象の事を慮る事を忘れてはならないのだ。シャルリーエブドの事件も過激だろうと表現ではある、しかし相手の信仰や文化を題材に侮辱的に表現していいわけではない。

 

結果、暴力的報復行為で事件は起こってしまった。表現は自由でなくてはならないが、そこには責任が伴う。相手を侮辱的に表現するのも自由ではあるが、その結果代償として払わされた責任は命だ。暴力的報復は絶対に許してはいけない行為ではあるが、先に引き金を引いたのはどちらなのだろうか。このような相手を慮らない表現を僕は無責任に思う。これは「表現の自由」ではない「表現の野放図」でしかない。

 

規模は違えど、悪意をもって差異をエンターテイメントにしているのが問題なのだ。この悪意が日本に向かっているのであろうと、韓国に向かっているのであろうとそんな事はどうでもいい。国家や民族、人種単位に向かっていて、個別である個人で評価しない事の醜悪さを僕は問題視する。こんなのは全体主義思想だ。

 

このような差異を侮辱的に使うことでエンターテイメントにして売り物にする著者、出版社には責任がついてまわる。当然、このようなコーナーを作成したコーナー担当者、およびその管理者たる店長、及び企業として指導徹底できなかった株式会社虎の穴にも責任がある。これについては正式に回答を求める文章を送りたいと思う。売れるからおいていい、というのは資本主義の原理からすればいいのかもしれない。だけどそれは僕には無責任に思う。

 

余談として、全体主義というのは非常にやっかいなものだという事も書いておこう。「死ねよオタク」という言葉に反応したオタク趣味者の一部の人達は「オタク差別」と受け取ったが、正直僕は重度のオタク趣味者であると自負はしているものの、全く差別とも思わなかったし、感情的に揺らぐこともなかった。掲載画像からオタクでもどういう人に向けて発せられているか直ぐに理解できるからだ。これを「オタク=自分」とし、自分が言われたと思うことが全体主義的な思考なのだろうと思うのだ。

 

結果、反日漫画だ、左翼だ右翼だ、オタク差別だという枝葉末節に思考が流され、人間としてこうした差異を侮辱的に扱う事でエンターテイメントにする文化、表現の自由を許してもいいのだろうか?表現の自由は無制限に自由なのか?という問いかけにはならなかったのが残念でならない。

 

そういう意味も含め、また全体主義的な問いかけであった点も含めて、最初の問いかけである「死ねよオタク」は暴力的で乱暴な表現であったと批判指摘はしておきたい。ただ、想像で賄える程度ではある。id:haikyo氏はおそらく誰が全体主義者なのかという問いかけも含めたギミック的にあえて「オタク」と乱雑に括ったのではと僕は感じたのだけれども、こうした方向に収束してしまうのは失敗だったのではないかと思う。逆に言うと、それだけ全体主義に無意識に囚われている人が多いともいえるのだろう。

*1:そもそもこのご時世にイデオロギーなど全くの時代遅れでしかないと私的には思うほかない。