俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

批判するという事

人が存在するという事は他に影響する行動である。つまり俺的には批判する行動も賞賛する行動も何も変わらないと考える。自己が快く受け取る意見や思想は賛成的であるから賞賛的な意見に感じるが、自己が不快に感じれば批判的に感じるだけの差異にすぎない。つまり賞賛であっても批判であってもさして差はないのである。受け取る主体(自己)が非常に控えめであれば、どんなに批判的な意見であっても自己の為と考え参考にするだろう。
そう考えれば、意図的に相手を不快にしてやろうとコメントするのも自由だし、意見の意義的には差異はない。しかしながら、同じ事を自分もされるであろう事も認識・納得せねばならない。自己がやろうとする事は他者もするであろうからだ。他者を斬るのであれば、自己も斬られる覚悟をせねばならない。自己(自我)が存在しているのと同様、他者(他なる自我)が存在する事を認識・覚悟せねばならない。他者の存在が許せぬのであれば、自己を捨てる覚悟をする必要があるだろう。
冷静に考えれば、自己の考えなぞ自己の考えにすぎないのだ。たかだか一人の脳内思考なぞ絶対的な正解になりえるのだろうか?そう考えれば他者も同じくなんら変わらないのだ。だからこそ現実的には等価値として並列に我々はつながるべきなのではないかと思う。誰が強いか?正しいか?優れているか?ではなく。自己を殺す覚悟があるのであれば、他者を殺せばいい。その覚悟がないのであれば、自己を慈しむように他者も慈しめばいい。