俺は此処に居る

id:BlackSunこと黒太くんがニュースみて勉強したり、ラジオしたり、絵を描いたり、空飛んでみたり

オタク世界の基礎知識

先日加入した「80年代オタク文化経験者」リングの掲示板「ファンロードの思い出を語る」にて、こんな書き込みがあった。

『「集団痴のたのしみ」という点でも先進的でしたね。/アミバネタとか中森一郎ネタとか、独自のネタ文化を作り上げてきた点で「2ちゃんねる」と共通する部分もある・・・。』(claw氏)

言われてみれば確かに似ていなくもないなと思った。一番有名なのは文中の「アミバネタ」で「北斗の拳」に登場する自称天才キャラの言動の面白さをネタ化したものだ。原典である「北斗の拳」を知らなければ全く解らないし、ネタ化アミバは原典とは違ったネタ化(氏名が「あ行」なのに辞典のトップがとれない)が次々となされ「ファンロード」誌の中での新キャラとして成立していた。他にも嵐馬破天荒氏のギャグマンガのセリフがネタ化したり、どう考えても面白くもない「どうすれバインダー」等ネタ化したものは、同誌の基礎知識・基礎教養として定着していった。確かに現在の「2ちゃんねる」におけるAAやテンプレは同様のネタ化と思えるし、claw氏の着眼点は鋭いと言える。しかし鋭いと感じつつも、何かしら違う感じもしてしまう。

当時、俺がローディストだった事を公言するのは恥ずかしい事だった。(俺がヘタレだったのもあるけどね。)大塚某氏ではないがリアルに宮崎事件があったワケだし、「おたく」である事をカミングアウトする事は容易な覚悟では出来ることではなかった。つまるところ、リアル世界とバーチャルなおたく世界の境目をなんとなくだけれども感じていたし、それをリアル世界に持っていく事は(俺的に)恥ずかしかったし、その中でしか通じない事だと理解していた。だからこそ投稿したりギャグ漫画を描いてウサを晴らしたりした。そこでしかそのネタをフルスイングできる場所はなかったし、フルスイングしても(ネタが笑いとして)通用しない事を理解していたからだ。最近の「2ちゃんねる*1利用者は、公道で「2ちゃんねる語」を使うことも憚らないし、実際はリアル世界の数%しか見ていないであろうにも関わらず、誰にでも通用すると思っているかのように振舞える。俺的にだが、この違いは自身について「マイノリティ」である事を自覚しているか否かなんじゃないかと思う。自身を「マジョリティ」であると誤解した「マイノリティ」、それが現在の「2ちゃんねる」なのではないだろうか。*2

そして、この誤解は最近の「ネタの矛先」にも影響したと言えるのではないだろうか。「80年代おたく」がネタ化させたのは大半が漫画・アニメ作品だったが、「2ちゃんねる」がネタ化させる物は企業だったり、個人(個人ブログ)だったりする。おたく世界だけでなくリアル世界に自己の手法・ネタを飛び出させているのも去ることながら、人格や相手があるものへシフトしていっている。ネタ先はリアル世界なのだから、痛みを伴う。ネタ化がネタで止まるのは、おたく世界の中だけの話。リアル世界で痛みを与えた場合、当然責任を問われる。「誤解」の蓄積が基礎教養になった事で逮捕されるワケだ。こんなネタ化は全然笑えないんじゃないだろうか。

*1:初期はそれほど違いは感じない気もする。

*2:2ちゃんねる」利用者の「一部の人」=自称「2ちゃんねらー」諸氏ですよ、ちなみに。